年賀状減った!

そろそろ年賀状のことを考える時期になった。
ここ数年で急激に、やり取りする年賀状の数が減った気がしている。

職場から取引先に送付していた年賀状は、来年から取り止めることになった。環境保護の観点からという名目で、宣言することになった。

個人的にも、今年の始めにいただいた年賀状がだいぶ少なくなった。何となく惰性で出していた人への送付をやめたら、先方から届くこともなかった。お互い様子を見ていたということか。

皆が、何となくのお付き合いで続ける必要ないのにねと思っていたものを、実際に行動に移してもいいよね、になる瞬間。世の中の流れというのかね。

もともと十数枚程度の少ない年賀状が更に減ったものだから、年初には寂しい思いをしたものだ。
しかし、今年は新しい出会いが沢山あった一年だった。今年は多かったな、本当に多かった。

いい一年でした。

運転と運動神経

毎日のように自動車を運転している。
そこで運転にも色々傾向があることに気づく。

1.のろのろとした運転をする人は若い男性が多い。
周囲に合わない低速で走っていたり、判断の遅くて流れを止めてしまったりしている車があって、高齢ドライバーかと思うとそうではない。20代から30代前半と思われる男性が多い。

2.強引で危険な運転をする人は若い女性が多い。
逆に強引な割り込みや追い越しをする車は、女性が多い。

3.確認不足で危険に気づいていない運転をする人は、中高年女性が多い。
同じ割り込みでも、割り込んでしまったことに気づいていないで同乗者と話し込んでいたり、物を探していたりするのは、謂わゆるおばちゃんが多い。

4.運転がスマートなのは、中高年男性がダントツに多い。
運転するのがかっこよくて、デートはドライブでしょという世代でしょうか。いいタイミングで譲る譲られる、スピードも遅すぎず早すぎず、気持ちが良い運転をするのは中高年の男性が多い。

以上、完全なる主観です。


運転と運動神経は関係していると思っている。
ただ、それを科学的に証明するのは難しいかもしれない。

この場合の運転は、例えば車庫入れがうまいなどの技術的なことではなく、判断の問題だ。周囲の車のスピードや運転者の意図、歩行者の有無といった状況を見て、素早く適切な判断をくだす。
運動神経は、早く走る、遠くまで跳ぶといった身体能力ではなく、飛んできた球をどうやって、適切なところに返すかというような状況判断だ。

運転技術を測定する方法や身体能力を判定する指標もあるだろうが、状況判断の能力は測定しにくいだろうと思う。

それとも、高齢ドライバーの判定にそういうシステムがあるのだろうか。


そういえば、運転がうまいというのは、周囲に恐怖感を与えないことだと知人が言っていた。
まさに、その通りだね。

そだねー

冬季オリンピックが終わってしまった。
カーリングが人気急上昇したが、他の競技もだいぶ興奮し、感動しながら観戦した。

フィギュアスケートも素晴らしい成績だった。
ただ、毎回気になってしまうのが、コスチューム。

女性はなぜあんなヒラヒラしたものを着用するのだろう。
美しく妖艶に演技したい選手もいれば、かっこよく滑りたい人もいるだろうに。

ペアもダンスも、男女二人ともパンツスタイルで演技しても、いいのではないか。

社交ダンスもそうだけれど、男性的男性と女性的女性のペアで行うけれど、そうでなくてもいいよね。

誰でもできる仕事論

ホリエモンの保育士は誰にでもできる仕事だから発言が話題になり、いろいろ考えていたら、もう年末である。

職業に貴賎はないとか言うけれど、医者や弁護士にはやはり、なれる人となれない人がいる訳で、それに比べれば、必要な知識量が少ない仕事や資格はある。

問題は、続けられるか、どうかではないだろうか。

誰にでもなれるという扱いを受けがちな、保育士や介護士、あるいは農業従事者。
なれたとして、続けられるか?

結構きついと思うなー。

続けるためには、労働に見合う報酬が必要な訳で、やりがいだけでは続けられない。

待遇改善を急げ。

喪中葉書に思う

今年一通目の喪中葉書が届いた。

もう、そんな時期か。。。

亡くなった方が友人の祖父母の世代だとちょっと安心したり、大往生だったことを讃えたりする。
逆に親の世代だと、自分の親のことも覚悟しておかねばと改めて認識し、そして親孝行を誓う。友人の悲しみや、いろいろ大変であったろうことに思いを馳せる。

変な言い方だが、自分の両親は健在なので、親が死んだ経験がない。
親が亡くなった友人の感情を推し量ろうとはするものの、よくわからない。

ある友人の家に電話をかけると、なぜか話し込んでしまう気の合うお母さんがいて、その方が亡くなった知らせは、少なからずショックであった。
だが、大抵の喪中葉書の故人には会ったことがなく、悲しくなどならない。

届いた一通目の葉書を見て、亡くなったことを知らなかったと落ち込む相方を見て、どちらが正常な反応なのかと思い悩んでいる。

マイカーローン

とある銀行での待ち時間、壁に隣り合わせに張ってある二枚のポスターが目に入る。20代の女性の写真のものと男性の写真のものだ。どちらも素敵な笑顔。
何のポスターかなと思って見れば、自動車ローンと書いてある。

なるほど、確かに二人とも車に乗っている。右肘を窓枠にかけ、上半身を少し乗り出して風に吹かれているかのような男性の横顔。
窓枠にかけた両腕にあごを乗せ、こちらを向いて笑う女性。

若い人達の車離れが言われている中、若い人をターゲットにしたマイカーローンかな。悪くない。

しかし、そこで気づく。
写真の女性、助手席に乗ってないか!?

女性は左側に乗り、運転席側は誰もおらず、まっすぐこちらを見ている。

こうしてみると、助手席から運転者たる恋人をみて笑かけている設定の写真ではないか。

残念。

二枚並んだポスターを見たとき、「若い男性も女性も、さぁ車に乗りましょう。ローンはうちの銀行でね。」というポスターだと思った。

しかし、良く見れば、「男の子達よ、車に乗ろう。こんな素敵な女性が助手席に乗ってくれるかもよ。」という意味になってくる。

無意識だろうか。

男性が運転、女性は助手席が当たり前と思っている人は多い。
でも、女性も車に乗る。

ローン組んで欲しいのは男性だけですか?

ボランティアでいいのか

先日、いのちの電話という電話相談の相談員が減少しているという新聞記事を読んだ。
いつかかってくるかわからない切羽詰まった電話にも対応するためには24時間体制が理想だが、相談員が足りず、時間を短縮せざるをえないという。

いのちの電話の相談員になるには、結構大変だ。
以下、「東京いのちの電話」の相談員募集ページから引用する。

いのちの電話の相談員はボランティアではありますが、いのちの電話を第一線で支えている存在です。
◉相談員になるには、所定の手続きを経て、その後約1年半の養成研修を修了し、認定を受けます。いのちの電話の活動は、電話相談の担当や研修を受けることの他、後援会活動・委員会活動・研修活動などにも積極的に参加することが望まれます。新たな研修を受けて、インターネット相談に携わっている相談員もいます。
◉相談員としての活動は、すべて無償です。

1年半の研修、無償、そして、いのちに関わるかもしれない相談を受けるかもしれないストレス。。。

私は、やりたくない。
交通費まで、自己負担。
夜中起きていて、相談を聞いて、生活が乱れて、でも無償。

相談員が減少している、そりゃそうでしょう、と思ってしまったのは、私だけか?


また最近見た、海辺で人々の安全を守るライフガードのテレビ特集。
かっこいい。
女性も活躍している。
そして最後に、皆さんはボランティアで、それぞれ職業があり、合間にライフガードをしているという説明。
素晴らしい、パチパチパチという流れ。

いや、待って。
ライフガードも、知識や体力が求められ、人命に関わるお仕事ではないのか。
それでも、無償なの?


ボランティアは、何か特別なことではなくて、もっと身近で、気軽で、誰でもやれるようなことであるべきではないかと思う。
ボランティアしたから、すごく立派な訳ではない。
自分の時間をちょっとだけ、誰かのために使う、特にSNSに書き込むほどでもない行為。

ボランティアが善意の強要にならないように。
どうしても必要なら、ちゃんとお金を払いましょ。