過度なお礼です

我が家の近所の小学生は、運転中に道を譲ると、横断歩道を渡り終えてから体の向きを変え、頭を下げる。

えらい。よく教育されている。
しかしどうしても、複雑な気分になってしまう。
多くの子供がするので、おそらく学校でそのように指導しているのだろう。果たして、そこまでやる必要があるのかと疑問を感じるからだ。

横断歩道は、歩行者が優先のはずだ。
もちろん、譲ってくれたことに感謝をするのは構わないが、渡りながらの会釈程度で十分ではないか。

イギリスでは、車に道を譲られた歩行者は、片手をあげ、ドライバーに挨拶をする。
ドライバーも片手を上げ、それに応じたりする。これは対等な関係を前提とした行動だと思う。

同じくイギリスのスーパーで見かけた光景が私には印象的だった。車椅子に乗った男性が買い物中、上の方の棚のものを取ってくれるよう近くにいた別の買い物客に頼んだ。そして取ってもらったお礼にこう言った。
「いいことをしたから、今日はいいことがあるよ。」
驚いた。お礼を言いながら、数度に渡り頭を下げるというような行動を予測していたから。予測していた自分に気がついてしまったから。
これが対等な関係ということなのかと思った。
車椅子に乗っていなくても乗っていても、対等だと考えていたはずなのに、そうではない行動を期待していた自分が恥ずかしかった。

日本人は、誰かと向かい合ったら即、無意識にその人と自分に上下をつけがちだ。
年齢が上なら上。だから、子供は下。そしてなぜか高齢者は下。
または、男性が上、女性が下。
お店の客は上、店員は下、というように。

そして、立場が下と判断した人間に、それなりのへりくだった振る舞いを無意識に求めているのではないだろうか。

イギリスが正しくて、日本が間違っているとは単純には言えないけれど、上下のない関係性がもっとあってもいいのになあと思う。

学校では、感謝の気持ちを大切にと言いながら、必要以上にへりくだることを教えないでほしい。
子供には将来、周囲の人達と対等な関係性を築けるようになってほしい。

また、道路交通法上、横断歩道は歩行者が優先であること、将来運転するなら、横断歩道手前では停止することを教えよう。
その上で、「あの子供は道を譲ってやったのに礼も言わない。」と怒り、理不尽な攻撃をしてくる馬鹿な大人を想定し、身を守るために、振り返っての深いお辞儀を指導しているというのなら、時代を反映していていいと思うけどね。