おネエなのよ

テレビではおネエキャラなる人がいて、よくバラエティーなどに登場する。
疑問に思うのは、なぜみんな共通して女言葉を使うかということだ。

身体の性別と心の性別が一致し、異性が恋愛対象という人が
世の中の大多数とされているが、そうではない人もたくさんいる。

身体と心の性別が異なれば、性同一性障害といい、
同性が恋愛対象なら、同性愛者と呼ばれる。
ドラマでも取り上げられた両性具有の方は、とても複雑で、
遺伝子レベルの性別と外見の性別と心の性別が異なっていたりする。
身体も自己認識も男性ながら、女言葉を話す人もいれば、
綺麗な服を着るのが好きな女装が趣味の人もいる。

性のあり方はこんなにも多様だ。
そこになぜ、画一的な男らしさと女らしさを当てはめようとするのだろう。

買い物には興味がない。
スカートははかない。
化粧はしない。
裁縫をするくらいなら、日曜大工をしたい。
料理よりも、車をいじる方が得意だ。
ぬいぐるみよりも、ロボットが欲しいと思う。
地図は読めるが、細かい気遣いは苦手である。
韓流ドラマを見るより、スポーツを見て熱狂する。
私はそんな人間だが、さて、男でしょうか、女でしょうか。
興味や、趣味や、服装や、得手不得手まで、
「らしさ」で限定されているというのはどうだろう。

見た目が男だと、男らしさを期待されてしまう。
おネエと言われる人達の女言葉は、その方がわかりやすいからだろう。

一方、身体も自己認識も女性でも、
典型的な女性らしさからかけ離れていると、とても窮屈だ。
「らしさ」に、同じように窮屈な思いをしている人は
女性にも男性にも相当数いると思うのだが、どうなのだろう。

性のマイノリティーの問題も、ジェンダーの問題も、
大多数に所属していない人は変、という考えが根底にある。
陳腐に、大切なのは自分らしさだと主張したいが、
自分のやりたいようにやりたくても、社会的期待や
恋愛への期待や、自信のなさに邪魔をされてしまう。

アラフォー世代には、男性なら車、女性なら料理が必勝アイテムだったが、
今の若い男性は、あまり車に乗らないようになり、
女性でも料理嫌いといい、お料理男子なる言葉も現れた。
「らしさ」にこだわらない、多様化した世の中になりつつあると思いたい。