福島以外の原発は絶対安全です

自分が中学か高校のことだから、何年前だろう。いや、何十年前か。
授業で原発について習い、「絶対安全」という言葉があったのをよく覚えている。

それはチェルノブイリ事故よりも後年の授業だった。
おそらく、「日本の」原発は絶対安全です、とでも書いてあったに違いない。
すでに大事故が起きているのに、絶対と言い切ってしまうことに疑問を持ち、
怒りを感じ、強く記憶に残っている。

その頃から現在までずっと、原発は絶対安全だと言われてきたらしい。
避難した方々が、絶対安全だと信じていたと口にするのを、意外な思いで聞いた。
地域住民にまで危険性を説明していなかったことと、
そして彼らが「絶対」を信じていたことに驚いたのだ。

斉藤和義が「ずっと好きだった」を「ずっとウソだった」という
原発批判の替え歌にし、You Tubeで発表して話題になっているそうだ。

だが果たして、本当にウソだったのだろうかと思う。
ウソだったら、まだましだったかもしれない。

原発を推進するため、あるいは誘致するために、地域住民に絶対安全だと言う。
絶対だと言った理由としては、二つの可能性があると思っている。
一つは、危険もあるとわかっているのに、住民を説得するためにウソを言った可能性。
もう一つは、絶対安全だと言っている当人が、本当に絶対安全だと信じていた可能性。
地震後の対応を見ていると、どうも後者のような気がしてならない。

地域住民の方々も信じたはずだ。
説明する当人が絶対安全と信じ、ウソをついていないのだから。
ウソをつきつつ、裏ではいろいろ対策を練ってくれていた方が、よかったのに。

絶対安全なように万全の策を講ずるのは当然だ。
非常に危険なものを扱っているのだから、絶対安全な仕組みを作ってくれなくては困る。
それでも起こってしまうのが事故であり、その万が一の可能性にも、対策を練らなくてはいけない。
もしチェルノブイリ規模の事故が起こったらどうするのか、シュミレーションしておくくらいのことはやっておくべきなのだ。

しかし、内部の人間までが絶対安全だと信じていたら、この対策はとられない。
避難マニュアルなんて要らない、だって絶対安全なんだから、となる。

原発の安全対策の上で、想定している津波の高さが低すぎて危険という指摘を受けていたにもかかわらず、それは無視され、改善されなかったというニュースもあった。
過信によって、事故が起こらないための安全策までも、疎かにされていた訳だ。
お粗末すぎる。

菅直人首相が避難所を訪問し、避難住民に批判されるニュースもあった。
管さんは、東電が悪いのに何で俺が?なんて思っているかもしれない。

だが、国にも責任はある。
国はしっかり説明するべきだったのだ。
危険がどの程度あるのか、事故が起きたらどうしたらいいのか。
絶対安全と言いながら、原発を推進したのは国の方針だろう。

原発アメリカ軍基地も、危険がある代わりに地元経済が潤うから存続する。
誘致するにしても、撤退させるにしても、危険と経済とを天秤にかけ、判断を迫られる。

説明がされていれば、周辺の住民もパニックにならずに済んだはずだ。
避難する際、必要なものをしっかり持ち出せたかもしれない。
少なくとも今、放射線が高い地域に荷物を取りに戻るような事態は避けられ、
ストレスも不安も軽減できていただろうに。

原発の安全管理のずさんさを見過ごした責任も大きいが、説明を怠った責任も重大だ。

しかし、まだ原発を推進することはできる。
福島以外の原発は絶対安全ですと言えばいい。
チェルノブイリで大事故があったけど、日本の原発は絶対安全だと主張してきたのなら、
福島で大事故があったけど、福島以外の原発は絶対安全です、と言えばみんな信じるよ。
試してみては?