続けるということ

続けるためには、頑張らないのがいいと思う。

例えばウォーキングを始めるにも、毎日歩こう!と張り切ってしまうと、疲れるうえ、1日でも歩かなかったら挫折した気分になってしまう。
でも、一週間に1日歩くというゆるい目標にしておけば、一週間のうち6日もさぼっていることになるのに、ウォーキングを続けていると言い張ることができる。もし週に2日歩いた時には、えらいぞ自分!といい気分になる。
これが何年でも続けるこつだ。

最初はついつい頑張ってしまうものだが、それを抑えるためにいつも、10年後はどうしているだろうかと考える。10年後でも続けていられるように、無理のない程度にやろうと思う。
続けるというのは、それだけで価値のあることだ。

ソフトバンクの孫さんが、東日本大震災の被災者に対し、多額の寄付を発表した。
まず100億という金額には驚かされるが、それよりも、役員報酬を引退まで寄付し続けるという点に感心する。
今回の震災で、復興までに長い年月がかかることは必至だ。
今はたくさんの人が、被災した方々を助けたいと思って頑張っている。
寄付したり、ボランティアしたり、そして自粛したり。

だいぶ通常に戻りつつあるとはいえ、まだまだ自粛ムードだ。
私は、自粛が嫌いだ。嫌だと言えない雰囲気も嫌いだ。
自粛が被災した人の何の役に立つのか、さっぱりわからない。
こんなことを言うと、被災者の気持ちを考えないのか、といった批判が出るのだろうか。

阪神大震災の場合と比べても、東日本大震災の被害は大きい。
阪神大震災では、仮設住宅に全員が入居するのに半年、退去できるまでには5年かかった。
東日本大震災では今後、被災した方々が避難所から出て、仮設住宅に住めるようになるだけでも半年以上が必要になるのだ。
今やたら頑張って自粛している人、その間自粛し続けますか。
…続けないだろうな。

これからもずっとお金は必要になり、援助活動も長期に渡る。
寄付も、ボランティアも今だけではだめなのだ。
ずっと支援し続ける覚悟は私たちにあるだろうか。

自粛というあまりにも手軽な方法で自己満足し、あっという間にそんなこと忘れてしまうよりも、被災した人達のことにずっと思いを寄せ、例えば少額の寄付だけでも、ずっと続けていくことが大事なのだと思う。


ブログもあまり頑張りすぎず、のんびり続けていこうと思います。
よろしく。